別れ話からの仲直り体験談に関する記事

『別れ話から仲直りする方法/夫婦の仲直りエピソード15』

別れ話になったけど仲直りできたという体験談。気まずい険悪な雰囲気をどう乗り越え仲直りに至ったか参考にしてください。

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一時は離婚も考えたけれどやっぱり…15人の仲直りエピソード

結婚して一緒に過ごす時間が長くなると相手の嫌なところも段々と見えてきますよね。「もう一緒には居られない」と一度思ってしまったら元の仲の良い夫婦に戻るのはなかなか難しいもの。けれどもし仲直り出来たとしたら、雨降って地固まるのことわざもあるように、以前より良好な関係でいられるのかもしれませんね。

そこでこちらでは「別れ話まで発展したけど、最終的に仲直りできた」という15人のエピソードを集めました!今現在パートナーと喧嘩して気まずいムードになってしまっている人は仲直りのヒントに参考にしてください。

Q別れ話まで発展したけど仲直りできた時のエピソードを教えて!

ゆきさくら
30代前半

A楽しかった思い出がやり直すきっかけに。

私と旦那は出会ってすぐ恋に落ち、わずか半年で結婚したものの、性格は正反対。今思えば、何で結婚したのか疑問になるほど意見が違います。特に喧嘩になるのが片付けについてです。私は家中スッキリ綺麗にしておきたい派なのですが、旦那はごちゃごちゃしている方が落ち着くようで、人のものを勝手に触ると怒ります。そのくせ掃除は嫌いなので、私任せ。お互いのそんな性格に嫌気がさして、別れ話にもなりました。まだ子供がいない内に別れた方が幸せなんじゃないかって思ったんです。

旦那も同じように考えていたようで、暫く別居する方向で話が進みました。私は実家にお世話になろうと荷物をまとめていましたが、次々に出てくる思い出の品に手が止まりました。どれも旦那と楽しく過ごしていたときの思い出深いものばかりで、当時のことを思いだし泣けてきました。そしたら旦那も号泣して、一旦はもうだめかと思った別れ話が泣きながらの仲直りとなりました。今も喧嘩が耐えない夫婦ですが、旦那が折れてくれることが多くなり、以前より上手くいっています。思い出に夫婦仲を救われました。

道子
30代前半

A家事をやってくれない夫に腹を立てて……。

数年前、夫は会社員、私はパートタイマーとして会社で働いていました。夫の帰宅時間を考慮して家事はほとんど私が担当していたのですが、それが要因でよく喧嘩をしていました。決め手となったのは、私が休日出勤をして夜帰宅すると、上下スウェット姿の夫が食事の用意はまだかと怒り出したことです。この日は仕事があると事前に報告していたにもかかわらず、家事もやらず1日中ダラダラと過ごし、あまつさえ私に飯を作れとせがんだことに怒りが爆発し、大喧嘩しました。

しかし怒りに我を忘れた私が離婚話を持ち出そうとしたときに、夫がそれを察して突然深々と謝り夕食まで作ってくれたのです。それからは私が仕事の日は夫が家事をしてくれるようになり、夫婦仲も今のところは円滑です。

たまこん
30代前半

A思い切って全て話した

義両親と同居していたころから主人に対してではなく、親のことで主人とよく喧嘩になっていました。主人は口が足らず、かばってもくれないし話もしないのでいつもわたしにとばっちりがきて毎日行き場がありませんでした。そのうち妊娠、出産をしましたが出産したら姑の干渉がさらに増してしまいました。強く断れなかったり、自分の意見をいっても聞いてもらえずボロボロになりました。主人に話しても全く理解されず、聞く耳も持ってくれないままだんだんと私自身おかしくなっていきました。

もう限界というところで離婚しようと話しました。今まで何も守ってもくれない、聞く耳ももってくれない、もう無理だと話しました。そしたらやっと事の重大さにわかったのかしっかり聞いてくれ謝ってくれました。真剣な別れ話でしたが無事仲直りでき、そして家を出て三人で暮らす事になりました。三人で暮らしてから、喧嘩などせずのんびり平和に過ごしています。主人も親に対してビクビクしていたのが今ではのびのび穏やかで平和に暮らしています。

999te
27歳

A私が怒って実家に帰ってしまったとき

私が旦那のいつものマシンガントークと冷めた態度にブチ切れて実家に帰ってしまった時でした。私は旦那のことが本当に嫌いになり即区役所に駆け込んで離婚届を取ってきたのです。そしてその離婚届をもって実家に帰ってしまいました。

そして別れ話のあと一週間たって旦那から仲直りの電話があったんですけれどその時は私の怒りはまだ収まらず旦那の電話をガチャ切りしてしまいました。そして一か月後私は何とか自分の気分を立ち直らせていた時に旦那からまた電話がかかってきたのです。そうしたらまた私の怒りが始まってしまって、そうしているうちに一年間が過ぎたときに旦那が実家にきて土下座をして玄関の床に頭をこすりつけたのです。その姿を見て私は許す気持ちになり、仲直りしました。

みゆみ
30代後半

A夫が変わってくれました!

結婚当初から義両親と同居しています。義両親の干渉が酷く、私も伸び伸び子育てができないのでかなりストレスが溜まっていました。私が同居の我慢の限界で、夫が別居する気がないのであれば別れたいと言いました。夫はショックだったようで何も言わずに黙っていました。2人で別居するかどうするか話し合い、かなり揉めて険悪なムードになってしまいました。

しかしながら、経済的な理由から別居は難しいという結論になり、私が我慢するくらいなら実家に戻ると言いました。夫は自分がもっと変わって同居でも苦労させないように努力するからと約束してくれ、その日から夫は義両親にハッキリ言いたいことを伝えてくれるようになりました。夫の変化で私も頑張ろうという気持ちになり、以前よりも義両親とも仲が良くなりました。

るんるん
30歳

A失いそうになって初めて本気の反省をみせた主人

主人も私も実家が遠方にあるため、お互いが体調不良のとき、私の妊娠出産などは親を頼らず全て夫婦二人で乗り越えています。が、少し前までの主人は、私がどんなに高熱を出しても、インフルにかかったり、つわりでなにもできずに倒れていても私のことはお構いなしの人でした。早く帰って来てとは言いませんが、休憩時に「大丈夫?」のメールのひとつもなく、頼れるのは主人のみの私にとってそれはとても孤独を感じるものでした。何度話しても「気持ちはお前のこと大事に思ってるけど、なかなか行動にうつせない」と謝られておしまい。

でもそんなので子供を抱えたときにこの人は家族を守れるのか?という不安が生まれました。その不安が爆発した妊娠中、私は「頼れないあんたなんかより実家を頼ります!さようなら!」と言い放ちました。泣きじゃくってそう言った私を見て、主人はようやく私が本気で悩んでいたことを知ったようでした。本気で別れを覚悟した私に対して、主人は「いつまでも独身気分でごめんなさい。努力するのでもう少し時間をください。」と本気で謝罪し、そして本当に生まれ変わりました。決死の別れ話の後仲直りに至り、今では頼れる一家の大黒柱です。

ちりこ
30代前半

A夫の昔の彼女の話がきっかけで…

夫とはもう一緒にやっていけないと思ったのは、第一子を出産して半年ほどたったころだったと思います。きっかけは、夫が私と結婚する前に付き合っていた女性の話を聞いてしまったことでした。夫が本当に結婚したかったのは、私ではなく前に付き合っていた人なのではないかと思うと、胸が苦しく、不安でたまりませんでした。そして、こうしたことがきっかけで、夫の愛情が信じられなくなっていました。

もしかすると、私自身も初めての育児に追われ、少し鬱気味になっていたから、くよくよと気にしたのかもしれません。昔の彼女の件で言い合いになることが多く、本当に夫と一緒にやっていく自信がなくなっていました。そして夫にその気持ちを打ち明けた時、普段なら強気で言い返してくる夫が黙りこくって、目が真っ赤になってしまいました。目が潤んでいるように見えました。夫の目に涙が浮かんでいるのを見た時に、私の夫への不信感や怒りが急に静まったような気がします。夫が本当に私と一緒にいたいと思ってくれていることを感じたからだと思います。それからは、夫の昔の彼女のことで言い合いになることはほとんどなくなりました。

おうなん
30代

A別れても・・・

彼女と付き合い初めて数ヶ月。彼女の好きな面と嫌な面の両方で気になり始めた頃、時に彼女が冷たい態度をとったり他人の男性に興味を示す態度をとっていたので俺に気が無くなったのかと思い、後先考えずその場の雰囲気に耐え切れなく彼女に別れを告げました。すると彼女は大泣きしてしまいました。後日、思い直して彼女に寄りを戻そうと話しましたが、考える時間が欲しいといわれました。

その後、一週間そっとしておきました。そしてある日、彼女からメールが来て考え直してもいいよと前向きな話がきました。別れ話をしたのは不本意である事を伝え彼女も徐々に理解してもらいました。それでも私が本気で別れを告げた事でないことをわかってもらうまでは、時間がかかりました。デートを重ねる度に自然とお互いのわだかまりも少しずつなくなってきてお互い許しあえる間になれたのかもしれません。

R13
33歳

A私の性格を直す!

私達は国際結婚で、お互いの生まれ故郷とは違う国に住んでいるのですが、旦那は仕事を持っています。でも、私は仕事をしたいのに、ビザの関係上仕事を持っていませんし、できません。でも、子供がいるので、育児と家事を毎日こなしていて、子供のことは愛していますが、仕事をしたいという思いが一向に消えないので、イライラすることが多い日々です。そんな毎日キレているような私に、旦那が疲れてしまった別れようかと言ってきましたが、私が性格を直すと言って、一応努力しました。さらに、旦那も私の育児に協力や理解、それに助けもあって離婚は避けることができました。今現在は夫婦仲は良好ですし、子供ももう1人できて、幸せに暮らしています。

パルル
35歳

Aこんな性格じゃないと思ったのに・・・

職場恋愛で先輩と結婚しました。仕事っぷりは部下に怒鳴り散らす上司も多い中いつもニコニコしていてとっても優しかったので迷わずに結婚を決めました。現在2人の娘がいて小学三年生と一年生になりました。しかし、結婚10年ともなるとさすがに何度か別れようと思う事もあります。その原因の多くは旦那がケンカの時怒って怒鳴り散らすようになってしまったことです。怒鳴りすぎて私が一人泣き出すこともあり、さすがに娘たちも一歩ひいた目で見るようになってしまいそんな日が続くと離婚をしようという話になることもしばしばでした。

若い時に反抗期がほとんどなかった旦那、仲のいい友達もあまりいない、人との交流に慣れていなかっただけかもしれません。今が人生初の反抗期、その貴重な時間に出会ってしまったんだと思うようにしようと決したその日から不思議とそこまでケンカになる日はなくなりました。今はうちには生まれなかった男の子を一度育てている気持ちで向き合ってみようと思っています。

のん
35歳

A最後は、何を優先するかを考えました

主人の給料がなかなか上がらず、貯金が減り生活を見直さなくてはならないとなった時に、夫婦で何度も話し合いを持ちました。今の生活で見直せる部分があったら全て直そうという話になりました。試行錯誤しながら、保険を見直したり、食費を切り詰めたり、車を手放したほうがいいかと話をしているうちに、主人だけが今の家に残り別居か別れるかという話にまで発展してしまいました。

嫌いになったわけではないけれど、このままこの生活は続けていけないと追い込まれた状態になり、子供を連れて実家に帰ろうかとも考えましたが思いとどまりました。何度も主人と話し合ううちに、お互いが存在しなければ私たちはだめなんだと気づいたのです。あの時真剣に話し合いをしたからこそ、今同じ方向を向いて夫婦で頑張れている気がします。あの別れ話の後は主人への信頼感も上がりました。別れ話は重い空気にはなりますが、気持ちをぶつけ合うのも大切だと思いました。

くるみ
20代後半

A旦那が切れるといつも別れたくなります。

旦那が切れるといつも別れたくなります。昔からなのですが、切れると止まらなくなります。下手に口答えをすると、何倍にもなって返ってきます。今までにそれに何回泣かされたことか分かりません。もう出て行くと言うと、さっさと出て行けと喧嘩別れしてフテ寝することも良くありました。その度にこの人とはもう一緒にいられないと思うのですが、翌日になると旦那は別人のように元に戻っています。いつもの旦那に戻っているので、許してあげようと思って別れないであげています。

最近はこうしたやり取りも慣れたもので、旦那が切れ出すと相手をせずに子供とさっさと寝るようにしています。一人になると、イライラもすぐにおさまるみたいなので。この人はこういう人なんだと割り切って考えるようになってからは、特に別れたいとか思わなくなってきました。夫婦喧嘩のたびに別れ話と仲直りを繰り返す私たちですが、今でも仲はいい夫婦です。

ゆくらら
28歳

A子供の涙

私達夫婦には2人の子供がいます。2歳と0歳で、まだまだ育児に追われて毎日疲れ果てていました。ケンカの原因は本当に些細な事です。私が夜中毎日寝れずに睡眠不足で、旦那も仕事で疲れているのは分かっていたのに、何故私だけ夜眠れないんだと、腹が立ちケンカをしてしまいました。2人とも昼間は働いているのに、私ばかりが子供達の面倒を見て、旦那は仕事や飲み会でほとんど家に帰ってきても食事をさっと済ませすぐに寝るだけなんてずるい、そんなんなら夫婦でいる意味がない。私1人の方が家事だってずっと楽だと思い、苛立ちから別れを切り出しました。

最初は謝って直すと言ってくれていた旦那も私があまりに折れないので、諦めて離婚に応じました。2人で離婚届けを提出しに市役所に向かう最中に2歳の息子が、何も分からないはずなのに急に泣き始めて、家に帰りたい、みんなで家に帰ろうと言いました。そんな姿を見て私も涙が溢れてきて、なんで、離婚なんて言ってしまったんだろうと後悔しました。そこで旦那がやっぱり直すから離婚は待ってくれないかと言ってくれて、なんとか離婚せずに済みました。今は旦那も育児に協力してくれていて仲良くやっています。

ここなつお
35歳

Aたとえ子どもがいなくても。

主人の男性不妊が発覚したのは結婚して2年後のことでした。病名は乏精子症と精子無力症。私の方は問題はありませんでした。発覚したとき、私は35歳、主人は37歳。自然妊娠は極めて難しいと宣告され、段階をすっ飛ばして顕微鏡受精を勧められるほど重度の不妊でした。子どもが欲しかった私は泣き、落ち込みました。追い打ちをかけるかのように、両家の両親から孫はまだか攻撃。しかも義母は、私に原因があると言わんばかりの態度で非常に苦しめられました。

主人に、不妊を私のせいにされているからお義母さんに説明してと言ってもスルー。守ってもくれない主人と大げんかになり、子どもが出来ないのを理由に離婚話に発展しました。しかし、冷静に考えてみると、子どもが出来ないから離婚って、主人を種男としてしか見て居ないのか?不妊治療を頑張ると言ってくれてたじゃないか。男性不妊を知って1番ショックを受けていたのは主人ではないか。色々と自分勝手さが見えてきて恥ずかしくなり、主人に謝りました。それからは、もし2人に子どもが出来なくても仲良くしていこう、と結論し、今は仲良く暮らしています。

れいもんど
20代

A夫婦別居からの仲直り

私はそもそも夫婦という間柄にそこまで大きくこだわってはおらず、また執着もしないようなたちでした。ですので、一度結婚しても普通に仲が悪くなると、う?ん…これは離婚もありなのかなぁ…なんて考えてしまうような人間です。結婚した妻もその辺りはなんとなく察しているらしく、私がそこまで妻に執着していないのを見抜いており、逆にそこに怒りを感じているようでした。

そんな生活がしばらく続いて、お互いの会話は少しずつ減り、やがて家庭内別居のような状態になってしまいました。幸か不幸か子供はおらず、家庭内で別居するぐらいなら完全に別居した方がよくないか?と思い、私は会社の近くの同僚の家にしばらく居候することにしました。別に別れたかったわけではなく、ただたんに頭を冷やすのが目的でした。その後、1週間ほどして家に戻ると、妻がご飯に行こうと誘ってきました。普通にOKしてそこそこいい感じのレストランへ。そこで妻から改めて好きだと言われ、私も以前のような気持ちになり、また仲良く夫婦生活をするようになりました。

この記事を書いたライター

木村さくら

自称「健康オタクで美容オタク」。最近自家栽培にハマってます。