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『ヘリコプターペアレントとは?原因/特徴&悪影響の事例15』

ヘリコプターペアレントの悪影響は親子関係を破滅させるだけでなく、子供の幸せ/友人関係/未来を奪ってしまうことも…。

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ヘリコプターペアレントが飛んでくる!子供への悪影響の事例15

ヘリコプターペアレントの元に生まれ育てられた子供は、将来に大きな爪痕をのこしてしまうこともあります。その悪影響は、結婚生活や孫に及ぶこともありますので、自分の子供への接し方を「過保護・過干渉かも…」と思っていたり、指摘されたりしたことがあるママやパパは、気をつけたいものです。

今回は、ヘリコプターペアレントとはどのような意味か、ヘリコプターペアレントになる原因、ヘリコプターペアレントの特徴、ヘリコプターペアレントにならないための対策、ヘリコプターペアレントに苦しめられた15人の事例をご紹介します。

ヘリコプターペアレントとはどのような意味?

ヘリコプターペアレントとはモンスターペアレントの一種で、子供の頭上を旋回するヘリコプターのように子供に付きまとい、親の過干渉で子供や子供の周りの人達に迷惑をかけたりする、過干渉・過保護な親という意味です。結婚後、姑の過干渉に苦しめられるお嫁さんも結構多いですよね。

「ヘリコプターペアレントに育てられた子供は、将来への様々な悪影響を受ける」と言われています。ヘリコプターペアレントは、親が本来すべき自立への教育を怠り、自分の気持ちを優先し、子供に失敗体験をさせないように、アドバイスというラインに留まらず、実際に手や足、お金などを出して保護や干渉をしてしまうのです。

ヘリコプターペアレントの特徴

ヘリコプターペアレントとなる親には、「子供が大切すぎる」という特徴があります。確かに子供は大切ですが、大切だからこそ、自分自身の力で生きていける子に育てなければならないのですが、それが難しいのですね。目の前で苦しむ我が子の姿を見るのが苦しくて、苦しむ前に障害を取り除き、なだらかな道を歩ませようとしてしまうのです。

例えば、子供が木登りをしたがっているのに「危ないからやめなさい」とすぐに止めてしまったり、いつまでも忘れものを届けてあげたり、ケガするからと料理をさせなかったり…。もちろん年齢によっては、同じ行為でも親の保護が必要ですが、これが小中学生、あるいは大学生になってからでは、さすがに自立できるのか傍から見ても心配になりますよね。

また、それとは相反して「子供を所有物と考えている」という特徴もあります。こちらのタイプのヘリコプターペアレントは、子供を自分の所有物と考えているため、自分の思い通りにして当然で、子供に自由など必要なく、親の言うことを聞かないと、子供を責めてトラウマを作ってしまうダメ親の傾向もあります。

ヘリコプターペアレントによくある特徴

・子供が頼る前に助ける
・子供以外の人生の楽しみがない
・子供が失敗しないように先回りする
・子供を自分の所有物だと思っている
・子供の力を信用していない(自分がいないとダメと決めつけている)

「ひと昔前までは、大学受験は子供が自分で宿やチケットを手配して一人で行っていたのに、最近では、多くの親がチケットも宿も全て手配して試験会場まで一緒について行く」と、ある旅行会社の人が言っていました。彼女曰く「旅行会社で手配もできないのに、勉強できてもね…」とのこと。

大学の就職支援セミナーに親が同伴し、会社を辞める時は親が電話で辞める旨を伝えて終了というケースや、お見合いパーティーに親が同伴して、親が気に入った人にアプローチさせるというケースも増えているそうですよ。就職や結婚など、自分の未来も親に支配される子供達…いいえ、大人ですね。悔いのない1度きりの人生を過ごせるのでしょうか?

ヘリコプターペアレントになる原因

ヘリコプターペアレントになる原因には、さまざまな体験が関与していると考えられます。ヘリコプターペアレントになった親も、好きで干渉しているのではなく、理解されずに苦しんでいるのかもしれませんね。不安や恐れは、自分だけではなく周囲の人を不幸に導いてしまうことがあるのです。一方で、境界性人格障害、トラウマなどの原因であるケースもあるため、念頭に入れて対処することが大切です。

ヘリコプターペアレントになる原因
・子供が嫌がらせを受けたのがきっかけ
・親がヘリコプターペアレントだった
・子供を所有物と考えている
・子供時代に育児放棄されたトラウマ
・心配性
・境界性人格障害

ヘリコプターペアレントにならないための対策

ヘリコプターペアレントの特徴や原因にあてはまったママやパパ。急いで行動を改善しましょう。まずは、ヘリコプターペアレントに育てられた子供がどれほど傷つき、悪影響を受けて生きなければならないか、事例を読んでその恐ろしさをしっかりと心に刻むことが大切ですよ。

子供を愛するということは、あなたの不安や考えを押しつけ、思いをぶつける事ではありません。子供の真の幸せは子供の心の内にあることを理解し、1度きりの人生を自分の足で立って歩ませてあげることが大切なのです。生きる痛みや苦しみを体験して、人は学び成長します。そのチャンスを奪ってはいけません。

また、子供は親の奴隷ではありません。親が望む様に生きる子供は、いい子症候群になったり、将来に不安を抱いたり、自らがヘリコプターペアレントとなって負の連鎖を次の世代に残してしまいかねません。ですから、あなた自身がヘリコプターペアレントにならないように、十分な対策をしましょうね。

ヘリコプターペアレントにならない対策

・過干渉・過保護はやめる
・子供に失敗させる
・子供の気持ちや話しをきちんと聞く
・年齢に応じた距離をとる
・自分の世界を持つ(趣味など)
・子育ての不安で辛い時は、専門家に相談する

Qヘリコプターペアレントの様子や悪影響を教えて!

こちらでは、自分自身がヘリコプターペアレントだったママの体験談1件と、ヘリコプターペアレントに苦しんだ体験談14件をご紹介します。愛する子供の未来を明るく照らす親になり子供との良好な関係を築けるか、子供に逃げられてしまうかは、これからのあなたの態度次第です。子供は、親が変わり良好な関係を築けるのを待っているはずですよ。

まき
40代後半

A母親としての反省です

現在大学1年生の娘を持つ母親です。元々娘は活発だったのですが、中学2年生の時に自宅で突然身体の力が抜けた状態になり、バタンと倒れてしまいました。原因が分からず、色々な病院で診断を受けたのですが、具体的な症状が分からず、最後にかかった心療内科で心身症と診断され、処方された薬を飲みながら自宅で過ごす日々が続きました。高校は通信制高校を選択しました。通学のシステムもある学校で、本人のペースで登校訓練ができたり、進路相談のサポートがあるのもメリットでした。娘は次第に意欲を取り戻し通学し始めましたが、電車に乗れるほどの自信はなく、私が車で送り迎えをしました。教室で倒れるのではないかという思いもあり、図書室で待機する許可もらいました。

そうなると娘と接している先生や生徒の態度がとても気になるようになり、悪いと思いながら指導方法に口を挟む自分の姿がありました。担任の先生は娘の成長の事も考えて甘やかさない方針だったのですが、親の私からすると、なぜもっとサポートしてもらえないのか、歯がゆかったのだと思います。娘も何か辛いことがあると、すぐ待機している図書室へ来て愚痴を言うようになり、それを担任の先生に告げ口をする、という最悪なサイクルであり、主人に「もっと離れるべきだ」と指摘されました。次第に娘は元気に登校できるようになり、志望の大学に合格できました。反省としてもっと学校を信じて通わせたかったなと感じます。

ジェシカ
20代後半

Aつきまとうことが愛情だと勘違いしている母親

母親です。幼い頃に両親と離別、親戚をたらい回しにされて育った母は、いまでいうところのボーダー(境界性人格障害)のような性格で、大人になってからも子供時代の思い出を癒しきれていないところがありました。母は、英検などの試験や高校入試には必ず同行していました。最近では珍しくないそうですが、わたしが子供の頃は、会場に父兄用の控え室なども用意されていませんでした。ひどい時には門の前に立ってじっと待っていることもありました。また高校生のとき、デートを尾行されたことがあります。

ある日の朝、母は風邪をひいたといって「今日は外で晩ご飯を食べてきなさい」と言いました。チャンスとばかりに学校が終わってから彼氏と繁華街を歩いていると「しんどいから先に寝るね」というメールが。そこで私たちはファミレスでのデートをやめてラブホテルに向かうことに。すると入室して間もなく、ホテルに入るわたしと彼の写真がメールで送られきたのです。その時は本当にゾッとしました。大学生の頃から、次第に母親によく似たボーダー(境界性人格障害)のような性格が顕著に現れるようになりました。情緒不安定になったり自傷行為を繰り返すなどして墜ちるところまで堕ちた後、病因やカウンセリングなどに通いました。対策としては大学進学を機に県外へ引っ越しをし、わたしから実家に連絡することはまったくなくなりました。以後10年間まったく会っていません

サッカー
30代後半

Aしんどいヘリコプターマザー

両親ともに過干渉なヘリコプターです。幼少期から現在にいたるまで小言、口出しがとにかくおおく成人し、子育てにいそがしい今現在もつづき疲れます。小学生のころから手伝いするにも指示がうるさくこまかく自分の思う通りにしないと鼻をまげる父親、家事を任せ放題でだらしない母親の身代わりのように主婦業をさせられ、下の妹の世話も当然のようにおしつけ、親のいいなりにされてきて、成人してから何度か衝突というか私が干渉をやめるように直接話しました。

最近は、自分から接触をさけて距離をとっています。子供の頃から夫婦中の悪さのとばっちりを受けていて、思春期ころから、自宅リビングも居心地のわるい緊張の場所となっていて実家がおちつきません。わたしはできるだけ一人の時間を好むようにかわっていき、本音を話せる人もあまりいません。できるだけ自分からはなれる努力は必要だとおもいます。自分が管理されているのは本当に窮屈な居心地でしかないからです。子育て世代になり、子供との距離の取り方に少々ギャップを感じて、干渉しすぎないよう気を付けています

猫水
20代前半

A母の家族への執着は育児放棄された経験から?

私の母親は子供の目から見ても自己主張をせず、献身的で父や子供ばかり優先する人です。今思い返すと小学生の頃にちょっとでも遠出するときは、保護者として必ず着いて来てましたし、家で宿題や勉強をする時も付きっきりで母に教わり、一人で勉強をした記憶がほとんどありません。一人暮らしを始める前も後も、私の部屋の掃除は母の仕事でしたし、その影響か、私の掃除は雑すぎると、職場や恋人に何度も言われます。

私にとっては2・3日毎に母に掃除や洗濯をしてもらうのが当然の生活でしたが、私が恋人を連れて帰った時に母と鉢合わせ、ヘリコプターペアレントじゃないかと恋人に指摘されて、確かに完全に当てはまり、実は異常だったことに気が付きました。ですが父が言うには、母は育児放棄をされてたらしく、「自分の子には寂しい思いをさせたくない」と結婚前から言ってたそうですし、昔から愛に飢えてる感じがあったとのこと。ずっと寂しかった子供時代が過保護というか、家族への執着の原因かもしれないそうで。そういう経験から来てると知ると拒むのにも罪悪感が湧いて、どうするべきなのか悩んでしまいます

みゆみ
30代後半

A母がヘリコプターペアレントでした。

母親がかなり心配性な性格でヘリコプターペアレントです。大学時代に彼とのデートに尾行された経験もあります。年の離れた兄弟がいるのですが、私がようやく妊娠できた子供だったらしく、かなり思い入れがあったようです。私は母からいつも束縛され、家にいることが苦痛で仕方なかったです。

外出しても門限を決められ、社会人になっても外泊も出来ませんでした。母は私の行動を全て把握していないと安心できないようでした。私は彼とのデートの時は迎えに来てもらうことを控えて、友人と会うと言って自分一人で出掛けたり、出掛ける時は携帯電話を家に置いて出掛けるようにしました。幸いにも母の友人がサークル活動に誘ってくれてから、は趣味も増えてあまり干渉されなくなりました

ぴくみん
20代後半

A母親の過干渉

母親がヘリコプターペアレントです。母親は極度の心配性で、自分のルールを遵守する人です。少し異常だな?と思ったのは小学生のときは登下校、何があっても車で送り迎えをしていたことと、大学生になってパソコンを買ったときに勝手に見ていたことです。

ヘリコプターペアレントになってしまった理由は、心配性すぎることと、溺愛によるものだと思います。母親がそんな状態でしたから、友達も親が気に入った子とばかり遊んだり、登下校も車だったので変な家の子供だと言われて敬遠されていました。そのせいで親友などもいませんし、私は自分がダメな人間なのでは?といつも思います。対策としては、親が子供を信じて見守る勇気、子離れが大切だと認識することが大切なのでは?と思います

ココア
30代前半

A今でも過干渉な母にビックリ

私がすることに何でも口を挟まないと気が済まない母。幼稚園の頃から、母の言う通りにしないといけなくて、私には自分の意見がありませんでした。中学校受験をするつもり無かったのに、受験するように促されたとき、一生母に縛られて生きていくのではないかと思いました。就職が決まり、家にいることが少なくなったことで、母と接する機会が減ったことで、状況は良くなりましたが、結婚する際に再び過干渉が爆発しました。

結婚式の日取り・内容すべて母の思い通りにしなければならず、自分達らしさのない結婚式を挙げることに。結婚して地元を離れた今でも、毎日のように電話がかかってきます。でも、地元を離れて自由を手に入れたので、ある程度の干渉は許そうと思っています。私には歳の離れた大学生の妹がいるのですが、今は妹に過干渉になっていて、妹が困っているので可哀想だなと思いながら何も出来ずにいます

DCD
34歳

A小学校時代の嫌がらせを機に母がヘリコプターペアレントに。

私は早生まれで、かつ小柄でのんびり屋でした。そのせいもあってか、小学校に入ると嫌がらせの対象になるように。私自身も辛かったですが、母親はやっぱりショックを受けたようです。小学校中学年にもなると周りに追いつくようになったのですが、それ以降も母親は心配だったようで、あれこれ私に干渉するようになりました。一番ひどかったのは中学校時代。お小遣いで何を買ったかまで逐一チェックされて本当に辛かったです。

持ち物以外でも、友達関係にも首を突っ込んできて、、、。社会人になるまで続きましたが、母親がちょっとおかしいのではないかと気づかせてくれたのは今の主人でした。結婚して、やっと母親から解放されたなあと感じます。実家よりも、主人との生活の方が本当の自分を出すことができて楽です。ただ少し心配なのは、私自身が自分のこどもにおなじことをしてしまわないか、ということ。今から子育てが不安です

ここな
33歳

A常に私を管理し支配したがるヘリコプターペアレントな母親

私の母親が、ヘリコプターペアレントでした。母親は、すぐにカッとなるくらい怒りの沸点が低く、若干情緒不安定な面もあります。自分が一番正しいという気持ちも、人一倍強いと思います。小学生の時、友達とふざけていたら骨折してしまったことがありました。お互いに悪かったのですが、学校に飛んできて、相手の子供をこれでもかというくらい怒鳴りつけていました。また、大人になってからも私のことを管理し、彼氏と喧嘩すると常に母親が間に入ってきました。彼氏にメールや電話をしたり、家に乗り込んだりして、それが原因で別れたこともあります。

母親がヘリコプターペアレントになったのは、私が物心をつく前からだったのではないかと思います。一人っ子で、一人娘だから心配だということは、幼稚園に入る前からずっと言われていました。母親がヘリコプターペアレントなせいで、友達からバカにされることも多々ありました。過保護で子離れしない親というのは、子供からすると本当に恥ずかしいものです。母親とは、何でも話す仲でしたが、それが仇になることが多いので、プライベートな話をするのはやめました

ゆみ
30代半ば

Aヘリコプターも飛んで来れない遠く離れた場所で就職

私の母親がいわゆるヘリコプターペアレントでした。それに気づいたのは高校生の頃です。それまではうちの母親が普通だと思っていましたし、母親とはそういうものだと思っていたので特に気にしてはいませんでした。ですが高校生の時に友達からそのことを指摘されて、「もしかしたらこれってうちだけなのかな?」と思うようになりました。例えば、私の母親はとにかく心配性な性格で、過干渉でした。私の行くところはどこへでも付いてきました。高校生なので友達同士で出掛ける機会もたくさんあったのですが、そんなときにも何だかんだと理由を作って同行してきました。

大学生になっても続き、まるで5歳の子供に接するような感じで常に世話を焼いてきました。このことで「友達からおかしな目で見られるんじゃないか」ということが一番不安でしたし、母親のことを恥ずかしく思うようになりました。対策としては、あえて家から離れた就職先を希望し、大学卒業後から一人暮らしを始めました。物理的な距離を作ることで、かなりマシになったと思います。

こっしー
30代後半

A私の母はヘリコプターペアレント

私の母は完全なるヘリコプターペアレントです。そして、その対象は私と弟でした。私は幼い頃から母に対してどうも反発心があり、言うことを聞かない事が多かったので、その母の重たい愛情?が可哀相に弟に向けられたのです。弟は小さい頃から喘息持ちでした。体も小さく、喘息の上、親に似ず可愛らしい顔立ちをしてました。母親はどうみても弟の方を大事に思っていたのが、幼いながらでもよく分かりました。

例えば、私と弟が喧嘩をした際に弟の鳴き声が聞こえた途端、どこに居てもすっとんで来て私が怒鳴られていました。原因も何も聞かずに。又、弟が小学校の時に意地悪された様子が分かった直後から、どこへ行くにも弟と行動を共にするようになりました。そして、弟と話していても、弟が話し出すのを遮って、母が代弁する様な事が続き、私は嫌気がさして家を出ました。今は、許せない出来事があり、一年以上連絡を取っていません

ナス子
30代前半

Aどこに行ってもついてくる母親

私の母親は、長女であった私をエリートの子供に育てるために、常に監視し干渉してきました。小学生の頃、仲が良い親友と毎日のように交換日記をしていたのですが、その中に好きな男の子の話題を書いていました。それを盗み見た母親は大激怒し、友達の家に押しかけ、「あなたの家の子供のせいでうちの子供が色気づいた。どうしてくれるの。」と言って問い詰めました。それ以降、交換日記もなくなり、その子とも疎遠になりました。

中学校に入学すると過干渉はより過激になりました。私は学校でも成績が良い方だったのですが、その当時は成績の上下関係なく友達がいました。一緒の部活にも入っており楽しかったのですが、母親は彼らのことをよく思っていませんでした。たまたま部活の帰りに友達と一緒に歩いていると、母親がやってきて、「アホの家の子は近づかんといて」といって、私を引っ張って帰ってしまいました。それ以降、周りと打ち解けることができなくなってしまった私は、母親の干渉のもと大学までほぼ友人を一人も作らないまま生きてきました。人とうまく打ち解けられず、大人になった今でも壁を作っている自分がいます。今でも何かする度に干渉してきて、とても肩身が狭いです。母親がいなくなるまでこの苦痛は続くのかなと思います

みゆ
20代前半

A子離れできないヘリコプター両親

私の実家は両親ともヘリコプターペアレントでした。特に特別な原因はなく、幼少期からずっとそういう両親でした。初めにおかしいと感じたのは小学生の頃でした。私の家では門限が他の友達より1時間早く、友達の家に遊びに行って、うっかりそれを過ぎると友達の家に催促電話が掛かってきました。友達が家に遊びに来ていても、時間になれば親が追い出していました。そのうち両親が、私の付き合って良い友達を選ぶようになり、あきらかに差別するようになりました。それにより、一部を除く友達はだんだん私と遊ぶのを嫌がるようになり、疎遠になりました。

父は全て管理したがるヘリコプターペアレントで、母は子供に何もさせずに取り上げて全部やってしまうタイプのヘリコプターペアレントでした。おかげで私も兄弟も家事はからっきしできません。部活や進路も親が「コレにしなさい」と言い、異論は認められませんでした。家事が出来ないからと進学先も範囲を狭められ、就職先も家から通える距離で親が決めました。行きたい学校も、なりたい職業も諦めざるを得ませんでした

らら
30代半ば

A教育ヘリコプターママ

私の母は、自身もヘリコプターママに育てられた筋金入りでした。国立大学の教育学部を出て小学校教諭をしていた母は、特に私と兄の教育に対して過剰に熱心でした。小学校の頃から、兄は東京大学へ、私は母と同じ大学に行くのだと自然に思うほど普段から刷り込まれていました。学校では常にトップの成績を求められていたので、写生大会の題材が鶏だと知ると、鶏を飼っている知人の元を訪れて予習ならぬ予画を書かされました。他にも同級生よりも子供だけでの行動範囲は圧倒的に狭く、学区内に遊びに行くのでも付き添ってくるほどでした。

自分の母もそうだったので、疑問に思うこともなかったようです。兄は一人目の子で優秀だったこともあり母の希望どおり進学していきましたが、二人目である私は高校時代から反発を強めていき、進学先も自分で決めました。母も悪気があったわけではなく彼女にとっては普通のことだったので、成長していく私を見て過干渉であったことに自然に気づいてくれたようで、今は良い母娘関係が築けています

梅吉
30代後半

A大人になっても変わらない

私の父親は、ヘリコプターのようにどこまででも私の元へ飛んできます。小学生の頃、学校で男の子にしつこく嫌がらせをされて以来、父は私のことが心配で仕方がないようです。中学、高校とそれは変わらず、少し家に帰るのが遅くなっただけで、私の学校の周り、通学路、家の周りをグルグル探してまわりました。

大人になっても父の行動は一向に変わる気配がなく、職場まで送り迎えをしたがります。仕事が終わるまで、会社の近くに車を停めてじっと私を待っているので、「会社の外にいつもストーカーのような怪しい車がとまっている」と、社内で話題になってしまいました。父のせいで、せっかく苦労して取った自動車の運転免許も無駄になってしまいました。何年経っても私はペーパードライバーのままです。もっと早く父から離れるべきだったと後悔しています。そんな父に対する対策もしないで、ずっと甘えてしまった私も悪かったと反省しています