離婚後の親権の行方は…親権決定の判断ポイント12
子供のいる離婚となると親権、そして養育費についてもしっかり決定していかなければなりません。親権の争奪戦となり話し合いに折り合いがつかず調停になるのも大変ですが、かといってどちらかが子供の監護を放棄したからで済む問題でもありません。
親権とそれにまつわる話し合いでは、それぞれの親が親としての責任をどう果たすかについてしっかり決定していく必要があるのです。
Q離婚後の親権は父親それとも母親?
今回は離婚時に親権が父親または母親のどちらに渡ったかを含めて親権決定のポイントを12人に伺いました。どうしても親権を取りたいという人は、体験談を読んで今何をすべきかを見つけましょう。
母親に親権が渡った理由
A忙しい夫には子育ては無理だと思いました。
子供が2歳の時に、夫と離婚しました。離婚の原因は性格の不一致と、夫の仕事が忙しすぎて育児に協力してくれなかったことでした。離婚すること自体はお互いに話し合って納得したのですが、子供の親権をどちらがとるかでは揉めました。というのも、当時わたしは専業主婦で収入がなかったからです。夫は、子供を実家の両親に預けながら育児をすると言いましたが、わたしはどうしても子供と離れたくありませんでしたし、夫に引き取られても両親に預けっぱなしになることは目に見えています。それでは子供が可哀想です。
夫とは離婚の話以上に親権について話し合いました。結局、わたしが絶対に譲らなかったので、わたしがちゃんと仕事を見つけて、生活の基盤を作ることを条件に親権を手にすることができました。それから正式に離婚するまでの1ヶ月でパートを探し、自分の実家にも協力してもらって子供を引き取って育てています。
A離婚原因が元旦那の方にあったため
離婚の時に、子供はまだ0歳だったので、無条件に私に親権がきました。もちろん元旦那の方が稼いでいましたし、両親も健在で、孫の面倒もしっかりと見れる状態でした。逆に私の方は仕事も決まっておらず、両親も離婚していて遠くに住んでいたので頼る人がいませんでした。
その為、元旦那の両親から、親権は元旦那の方に渡すようにいわれました。その時に離婚の直接的な原因となった、旦那の浮気やお金にまつわる問題、そしていかに元旦那が遊んでばかりいて子供のことを優先せずに自分のことばかりを優先してきたのかを話しました。
最終的には、元旦那の両親も納得して親権は私の方になりました。それ以来元旦那にも、元旦那の両親にも子供は一度も会わせていません。
A親権は母親
離婚するに当たり親権をどうするかなど子供のことは一番モメた話し合いの1つでもありました。子供は小学2年生(離婚当時)の女の子です。父親も親権を主張したのですが、子供の年齢がまだ小さいこと、また女児であり、まだ母親の手が必要であることなどを主張して、最終的には私が親権をもつことになりました。
これは、私が正社員として働いており、また離婚後は実家に住むことから、子供の面倒を私の両親がみることができる環境にあるということが大きく影響したように思います。やはり子供を育てることのできる環境が整っているという面は大きいのではないでしょうか。そういった環境になければ、やはり母親一人で子供を育てるのはなかなか難しいかもしれません。
A養育権、揉めませんでした。
わたしの場合、離婚後の親権はわたしになりました。離婚の時子供は11歳、元夫は会社員、わたしは専業主婦でした。離婚する数年前から元夫が出ていくという形で別居していたので、子供には元夫と暮すという選択肢はなかったようです。
わたしはもちろん親権、監護権を取りたかったですが、もし心から納得できる理由があり子供の為に明らかにそれがベストであるならば諦めるという気持ちもなくはなかったです。元夫にとって子供は一人息子で、一応跡取りだったので監護権はともかく親権は主張してくると思っていましたが、全くしてきませんでした。子供のことを考えてなのか新しい人生に子供の存在が負担になるからなのか元夫の本心はわかりませんが、前者であると信じたいです。
A引き取らない選択はありません
離婚したのは20代後半でした。上の子がまだ3歳でしたが、幸いしたのは乳児の頃から私も仕事に出ていて保育園に入っていたことです。子ども達が余りに小さく、元夫は会社員、義実家とは疎遠で距離も遠かった為、私が引き取るのが自然の流れでした。私の実家ののほうも助けも得られないことは想像出来ましたが、元々仕事をしていたので細々と暮らせば、離婚後親権を獲得して子供をひとりで育てることも何とかなるだろうと思いました。
何度も喧嘩した末の離婚でしたが、離婚の決定打は「貧乏しても一人になりたい」と言われた言葉だったので、子どもを引き取らせるつもりもありませんでした。公正証書を作成しましたが、子ども達の面会についても記述し、月1回程度の面会で勝手に第3者とは会わせないことを盛り込みました。今も公正証書の約束は守られ、養育費を受け取り、月一度の面会を続けています。子どもを引き取って育てるのは大変ですが、毎日可愛い子ども達と暮らせるのでこれで良かったと思います。
A親権について
今から5年前、結婚生活10年目で協議の末円満離婚しました。当時、子供たちは3人(上が12歳下は6歳)いて親権について妻と話はしましたが、僕の仕事が医療関係で不規則なのと(夜勤あり)元々僕が子供は母親についている方が良いという考えだったので、ここは全く揉めることなく親権は妻へと決まりました。
親権が妻に行くことに関して揉めなかった要素として、養育費の支払いや面会制限などの決まりを作らず(養育費は常識の範囲内で毎月支払っています)、妻も旧姓に戻すこともしないということを言ってくれていたのも、親権で揉めなかった点だと思います。
また妻が子供たちに精神的虐待や金銭的虐待もしないだろうという安心感と、離婚後親権が妻に渡っても今までと同じ市内で生活することを事前に聴いておけたのも大きいです。特に親権について揉める要素はありませんでした。
父親に親権が渡った理由
A順当な判決
娘が一人おりますが、家裁の裁判官の判決により親権は自分(父親)がとりました。理由は離婚原因が前妻にあり(明らかな金と滞在ビザ目当ての偽装結婚)、裁判中に「(自分から)DVがあった」と虚偽の証言をしたことによるものと考えています。質問が進むうちに前妻の発言は整合性がなくなり、また子供の面倒を十分見なかったことについても「自分はいつもいつも子供の面倒をみないといけないの?いつも?」とキレたりして、本当に親権が欲しいのかと疑わしいほど自分中心でした。
娘はまだ小学生で、その年頃の子供を持つ親が子供の予定を優先して自分の楽しみのための予定を調整するのは当たり前のことですが、彼女はその責任を放棄してお金持ちの友達と遊びに行きたくてしかなたかったようですので、望み通りになったのではないかと思います。
A離婚をしたときに子供について考えたこと
結婚してから2年目で離婚した夫と妻どちらも30歳代前半の夫婦です。離婚のきっかけは妻の不貞です。離婚するとき1歳を過ぎた娘がいました。ちょうど自分で歩き出した時でしたが、離婚後子供の親権は夫である私が引き受けました。心情的に不貞を犯すような妻には親権は渡したくないのがありましたが、その次に収入に関して子供を養う場合私のほうが有利なので親権は私が引き受けました。
離婚時には親権について弁護士に相談していました。離婚裁判にはならずに調停になりましたね。妻の不貞に関してはそれ以上追及することもなく、私は子供のことだけを考えました。今は二歳の娘と暮らしています。ようやく物心つく頃です。母親を探すような仕草に関しては私も心が痛いですが、しかしながら妻の実情を知ってしまった以上、生活の継続の難しさを考えると離婚して良かったと思いますし、この子に母親が必要な時が来たら再婚も考えています。
A調停の難しさ
離婚の際、親権は元の旦那側にいきました。調停で第三者を交えて話し合い致しましたが 私は女性でパートで男性より給料が少ない。私の両親は、共働きで子供の面倒は見れない。元の旦那側のほうが、正社員で給料が高い。元の旦那の両親は年金を貰っていて、家に居て子供の面倒が見れる。双方を比べた時に、元の旦那側が子供の養育に対しての待遇が良いと言う判断がくだりました。
調停では、なぜ離婚の話に至ったのかは関係ありませんでした。元の旦那の裏切り行為が原因でしたが、それは考慮に入れられませんでした。感情は、考慮に入れてもらえないと知りました。子供にとってどちらが経済的に安心できるか、それだけでした。悲しいですが、それが現実だと思います。
A親権は子供のことを考えて決める
結婚して10年になりますが、妻の浪費癖が原因で離婚するに至りました。私たち夫婦には子供が2人います。離婚したら、子供達はどちらかについていかなければ行けないわけですが親権だけは譲れないと考えていました。もともと離婚原因が妻にあるというのが理由です。将来のことを考えて、親権が妻にあるより私にあったほうが子供のためだろうというのがありました。仕事は私しかしていませんし、将来的に子供が大きくなったら妻では養育できないだろと考えたからです。
私は建築関係の仕事を10年近くやっていて安定した収入がありました。離婚にともなう親権決定について子供は自分で選択するのは難しいでしょうから、親は子供のことを第一に考えて選択するべきです。子供をちゃんと育てられないのに親権を決めるのは、子供を不幸にする無責任な行為だと思います。
A家庭裁判所のお世話になりました
私の仕事があまりの激務で、朝早くから会社に行き、夜遅くまで仕事或いは接待などが続いて、家には寝に帰るだけという毎日が続いていました。その結果、不満がたまったのか前妻は家を出ていく、と言い出しました。私と別れて、別の人と再婚することを望んでいたようです。当時娘たちは、上が高校3年、下が中学3年でした、その娘たちを置いていってでも別れたいということでしたのでびっくりしました。
前妻が自ら出ていくということでしたが、それでも親権を望んでいました。私の方には、いくら忙しかったとはいえ結婚生活面での落ち度はなく、もちろん私も娘たちの親権を望んでいました。別れ話が出た時点でケンカのような状態で、あまり冷静に話し合える状態でもなかったので、家庭裁判所にお世話になることになりました。 忙しい仕事の合間を縫って、半年近く裁判所に通いました。結局、私の主張が通り娘たちの親権を得ることができました。その後、仕事の激務もなくなり、娘たちと円満に暮らしています。
A冷たい母親と言われても構わない
息子が2歳の誕生日の後、私から離婚を切り出しました。離婚した理由は、夫や私の浮気でもDVでもなく、姑など夫とその親族と私との関係が大きな原因です。私は企業の事務職員、夫は工場勤務でしたが、夫は工場勤務とはいっても過去に大きな遺産を相続しており、故人が一番望む遺産の使い方として自分の家を建てることを昔から決めていたそうです。しかし、そのマイホームは私たちの結婚が決まると同時に勝手に姑によってどこにどんな家を建てるか決められ、私自身はもちろん夫としても不本意な家づくりになりました。とはいっても6LDKの大きな家です。庭もかなりの広さで、車3台は軽く止めることが出来ます。
そんな事情から、離婚を決めたときは持家のある夫に親権を渡すことに決めていました。離婚後私は小さなアパートで独り暮らしの予定です。当然息子に苦労させることはわかりきっていました。周囲に頼る人も少ないので、どこまで仕事に支障が出ない範囲できちんと育児が出来るか心配だったのです。私としては子供に苦労させない合理的な判断をしました。わずか2歳の子供をおいて家をでた冷たい母親と言われても仕方のないことですがこれが私なりの愛情です。