浮気、暴言、嫁姑問題、とんでもない修羅場を経験した体験談
離婚するほどの修羅場を経験した7人の体験談です。赤ちゃんが自分の子ではなかった浮気妻や、実母の前で一方的に暴言を浴びせるトンデモ義母、毎日作っていた弁当は実はゴミ箱に捨てられ実母の作った弁当を食べていたマザコン夫など、どの体験談も想像以上の修羅場が起きている様子が伺える体験談です。
修羅場と言えば嫁姑問題です。今回の体験談にも嫁姑の確執がリアルに伝わる体験談を掲載しています。産後の手伝いに来た義母の目的が実は嫁いびりだった、義母と一緒になり悪口を言う夫に離婚を突きつけたら逆に慰謝料を請求された、など普通の考えではありえない展開となっています。
Q離婚に至った修羅場を教えて!
A義母による暴言の数々
元夫の突然の「ひとりになる時間がほしい」から始まった話し合い。青天の霹靂の上に、半年ぐらい別居して考えたい。そんな夫の希望は、義両親と私の不仲の解消でした。元夫の言い分では、自分の精神的不安定の原因は、私と義両親の不仲にある。だから半年かけて不仲を解消し俺を元に戻せと言い出した。もともと起伏の激しい性格で、思いつめるタイプなので私はあまり刺激しないように善処すると答えた。次の日に話したいことがあると義母が来て、第一声は「私はあなたと和解するつもりはない!120%ない!!息子は半年とか言っているが、こういうことは子供も小さいうちがいいから早くしたほうがいい!」離婚しなさいっと突き付けられたのです。
その後も、あなたのここが気に入らなかった。あそこが気に入らないオンパレードで、途中で口を挟むなと言われていたので私は言われたい放題。同席していた私の母もさすがに凍り付いていました。義母の一方的な発言の後、一応の反論の機会は与えられましたが、何を言っても、口ではなんとでも言える。あなたの言葉には心がないと聞く耳持たずでした。結局元夫の子供への愛情の言葉が聞けなかったのが決定打となって離婚に至りました。もう終わるのだからと反論も最低限にしたので今でも言ってやりたかったことがたまに浮かんできてしまいます。実母の前でのあの暴言の数々、冷静に対処したけど修羅場でした。
A赤ちゃんができたと言われたが、自分の子ではなかった。
当時自分は会社員、夜遅くまで仕事をしていました。嫁も仕事をしていました。小学校の先生をしており、毎日お互い忙しく過ごしていました。特にケンカもなく、でも嫁は子供が欲しい欲しいと言ってはいましたが、自然に任せていました。ある時赤ちゃんができたと言われました。つわりがひどいからしばらく実家で過ごすと言われ、嬉しさと半分不思議な気持ちで実家に連れていきました。
数日後、メールが来で赤ちゃんはあなたの子供ではありません。と来ました。同じ職場の先生とのダブル不倫の末赤ちゃんを身ごもったそうです。向こうから離婚したいと言われたのでそこからは慰謝料の事など弁護士を頼んだり、ボイスレコーダーで証拠をとったりしました。一番最悪だったのが、300日問題で戸籍上自分の子供になってしまう問題でした。離婚成立し、少し落ちついた頃に裁判所で元嫁と、もう生まれている赤ちゃんに出会ったときは倒れそうでした。今でも再婚はしたくありません。人間不信になってしまいました。
A義理母と隠れマザコン元夫と私
同い年の元旦那と結婚。どこの家庭でもありそうな義理家、義理母との関係。その良い関係は1年を過ぎたころから徐々に変わり始めました。5年ほど勤めた会社を私にほとんど相談もなく退社。もうそれだけでも驚いていたのに「来月から母さんのところ手伝うから、よろしくね」と。私も心機一転、元夫の新しい仕事を応援しようと思いました。会社勤めをしていた頃から私の作るお弁当を昼食にしていたので、手伝いに行く前にお弁当が必要かの確認を元旦那にしました。「もちろん今まで通りに作ってね」と。
義理母と昼食を食べるということで、なんとなくいつもよりも気合いが入りました。そんなお弁当作りも1か月ほど経ち、義理家で夕飯を食べていた時に「お弁当作りいつもありがとうね」と義理母が私に。いえいえ…と言いつつ、内心チェックしているんだ!!と、思いました。次のお弁当も頑張ろう♪なんて思っていた矢先に事件は起こりました。一緒に働いていたA子さんから電話が。顔見知りだったので何かな?と思い話を聞いていると…私が作っていたお弁当は毎日ごみ箱に捨てていると。そして、義理母の作ったお弁当を食べていると…。悲しいし悔しいしで涙が出ました。問い詰めたところ、卵焼きは義理母の味がいいと。捨てるなら作らないと言ったら、義理母に「ひどい女だ!」と罵られ…。もう勿論いい関係なんて無理でした。それから全く義理母、元夫とうまくいかず数年後離婚しました。
A姑の嫁いびり
私の離婚原因は姑からの嫁いびりでした。とは言っても誰が見てもそれとわかるようなあからさまなやり方ではなく、周りにはいい姑を演じていました。私が第一子を出産して退院した日、なぜか我が家で待っていた姑。里帰りは私の実家の都合によりしないことになっていたので、姑が面倒を見にきたとのことでした。ところが、2週間泊まりこみで滞在していたけど家事らしいことは一切やらず。唯一やったのは毎日の献立を考えることのみでした。要は姑が食べたい物を作れと。買い物も炊事洗濯も全部私です。身体どころか気が休まることすらない産後でした。
こんな調子で周りにはいい姑を演じ、実は嫁いびりをしている姑の顔を見るのさえ嫌になりなんとか疎遠にできないものかとそれまでされた仕打ちを旦那に相談したところ、『うちの親がそんなことするはずがない!』と激怒されてしまいました。この時は説得を断念し、極力姑を避けるようにしながら数年が経過して第二子も誕生したのですが、ここから一気に姑のいびりが加速しました。私に面と向かっては何も言わず、旦那に私の悪口を吹きこむのです。子供たちにお昼ご飯を食べさせていないとか、蹴ったり殴ったりしているとか。少し考えればそんなのウソだとわかるのに旦那は姑の話しをそのまま信じてしまい、結果的に夫婦間の信頼関係が崩れ離婚に至りました。元々の夫婦仲は良かったので姑さえいなければ・・・と今でも思っています。
A妻の豹変で離婚
付き合っていた頃は、明るく楽しい性格で自分の父親が病気になったことに理解を示してくれ優しい言葉で励ましてくれました。このことがきっかけで結婚することが決まりました。結婚式の準備をし始めた頃から妻の態度や言動が変わってきたことに気づいていましたがそのうち直るだろうと思っていました。結婚生活が始まり自分の両親と同居することもありあまり細かいことは、言わないようにしようと思っていました。しかし、妻の方が完璧主義というか潔癖な性格だったため毎日思い通りにならないことがあると怒り出し喧嘩がたえなくなりました。
大声で騒いでは、家出を繰り返しその度に探して夜の道をさまよい続けました。そしてとうとう震えるように怒りかんしゃくを起こして実家へ帰りました。妻の父親から呼び出しがかかり妻の実家に行くと妻の親戚に囲まれ自分の両親と別居し妻の実家の近所に引っ越すのでなければ離婚だと言われました。結婚するときに家業を継いで両親と同居をすることに快く承諾してくれ、それが結婚の条件でもありました。すでに父は他界し病床の母を置いて別居することは自分にはできませんでした。結婚する前はあんなに理解を示してくれたのに、怒り狂う妻の豹変ぶりは病床の母にも「こいつ」「お前」と本人に怒鳴る姿を見て離婚するのも仕方ないと思いました。
A結婚して分かったこと
私が離婚したのは25歳のときでした。結婚を考えていた相手との間に子供が出来、順番は逆になってしまいましたがお互いに結婚の意志は変わらなかったのでそのまま入籍をしました。安定期に入ったころ、それは突然起きたのです。主人の祖母から毎日のように電話がかかってきて内容は主人の毎日の様子を聞いてくるのです。その異様さに主人に相談すると主人にとってはもともとおばあちゃんっ子なのでその気にかけて連絡をくれることが嬉しくてたまらない様子でした。
子供も無事に生まれ分娩台で体を休めていると、主人の祖母と姑が私の子供を抱き、「○代目の跡取りさん」と言ってかなり喜んで私から子供を取り上げてきました。退院して、子供をつれて主人の実家にいけば授乳を私がすることは許してもらえずに「搾乳してもってこい」と言われることもありました。結局、精神的にぼろぼろになった私一人と主人を含む主人の実家で揉め、親権を奪われて離婚に至りました。
A慰謝料を払ってでも
結婚して4年間、なかなか子供ができませんでしたが、夫のご両親はとても楽しみにされていて、遊びに行くたびにその事を言われたのが、とても辛かったです。不妊治療を続け、やっと妊娠までたどり着きましたが、子宮外妊娠になってしまいました。そんな心も身体もボロボロでまだ絶対安静の時期に、夫の叔父さんがお亡くなりになり、嫁という立場なので、忙しく走り回っていて、貧血で倒れてしまいました。顔が真っ青な私を見て労ってくれたのは、一人もいませんでした。夫はお前が休んでいたら、俺が恥をかくと言い、私が座る事も許してくれませんでした。夫のお義母様も女性なら理解してくださると思っていましたが、「そうやってしんどいフリをして、同情してほしいの」って言う始末。
本当に泣きそうでした。実家からきた両親が、顔が真っ青で今でも倒れそうな私の顔を見て、泣いてしまい、「連れて帰ります」と言ってくれました。この事があってから、夫とギクシャクしてしまいました。私が夫の顔をまともに見ることができなかったからです。何度も謝ってきましたが、感情がついていきませんでした。ある日「離婚しましょう」と私から切り出しました。夫からは信じられない一言が。「お前と別れたら出世できないから、慰謝料払え。慰謝料を払えば別れてやる」。慰謝料を払う意味はなかったかもしれませんが、払ってでも別れたかったので300万円支払いました。