家庭崩壊の結末は離婚だけじゃない!関係を修復した家族の体験談
性格の不一致など様々な理由により家庭が崩壊してしまうことは多く、遂には離婚や絶縁にまで追い込まれる家族は近年急増していますが、その一方でひどい家庭崩壊状態を修復し、その後幸せに暮らす家族もまた多く存在します。一体何が違うのでしょう?
今回は家庭崩壊の危機を乗り切り、関係を修復した家族の体験談をもとに、家庭崩壊の危機を脱するのに必要なものについて考えていきます。「私の何が悪いの!」「相手があれじゃ、どうしようもない」「あの人おかしいから」と思っているアナタ。見え方が変わったことで崩壊した家庭を修復できた人達からの教えを、望まない家庭崩壊状態の改善に役立てましょう。
家庭崩壊の原因
近年は「ほとんどの家庭が家族として正しく機能していない機能不全家族」という指摘もあり、家庭内では外から見えない様々な問題が起こっていて、その悪影響が子供に暗い影を落としてしまうこともあります。
それでも機能不全家族の場合は家庭が崩壊する程の決定打はなく一応は家族という形を保っていますが、エスカレートしてしまうと家庭崩壊に繋がり、遂には離婚に追い込まれてしまうこともあります。
子育て世帯によくみられる家庭崩壊の原因
- 酒癖などの依存症や夫の暴力
- 浮気などの裏切り
- 嫁ぎ先の家族との不仲
- 子供の反抗期や妊娠
- 子供の発達障害など
- 子供中心の生活
- 教育方針の不一致
- 育児疲れや産後うつ、父性の目覚めの遅れ等による産後クライシス など
「家庭が崩壊した」と感じる原因は様々ですが、特に産後は離婚危機を意味する「産後クライシス」という言葉が巷で騒がれる程、家庭崩壊しやすい傾向があり深刻です。
離婚率からみる産後の家庭崩壊への危険性
厚生労働省「平成27年人口動態統計の年間推移」(注1)によると1年間の離婚件数は22万5000組(人口1000人当たり1.8人)。一方婚姻数は63万5000組(人口1000人当たり5.1人)ですので、結婚しても3組に1組は離婚すると考えられます。
これは非常に高い割合だと驚く人も多いのですが、実は1999年~2007年までの離婚率は1000人に2人以上と今よりもっと高く、その後1.8人前後に落ち着いてきています。ちょうどFacebookやTwitterのサービス開始やiPhone発売とも時期が重なるため、SNSやインターネット普及による様々な情報の影響とも推察できるでしょう。
また子育て世帯の離婚率が最も高い年齢は男女共に30~35歳、2位が女性25~29歳・男性35~39歳、3位は女性35~39歳・男性40~44歳となっていて(注2)、女性の場合は出生数の多い年齢の順位とも丁度重なっています。
産後の女性はホルモンの影響によるガルガル期などもあり、子供のことでいっぱいになる傾向があります。
ですが家庭崩壊の危機を感じたらホルモンに負けず、様々な情報を知ることで一旦冷静になり、今の状況や相手の気持ちを考えていくことも大切です。
家庭崩壊の修復に必要なこと
今回ご紹介する全ての体験談で共通していた家庭崩壊の修復に最も必要なことは、「関係を修復し、家族としてやり直したいという意志を互いに持つこと」です。当たり前に思うかもしれませんが、今「なんで私が」「あの人のせいで」「なんでこんな人と」と相手を責める気持ちになっていませんか?
結婚同様にお互いの意志がなければ家族ではいられません。そして自分に敵意を抱く相手を信頼し、心から関係修復を望むのは難しいものです。ですから自分が相手を責める気持ちを持っていると、相手も理解や歩み寄りが困難になってしまいます。
ただし性格や年齢によっては、こちら側に相手を責める気持ちがなく相手も家族への想いがとても強いのに、自分の生き方や考え方を改められず優先させてしまう人もいます。そうした人は頭ではわかっていてもどうしようもなく、それはそれで苦しいものです。相手がそのような状態でこちら側にも関係修復を望む意志がある場合は、第三者に入ってもらうとよいでしょう。
話し合いが難しい時は円満調停を検討!
家庭崩壊しているのに話し合いの場も設けられない状態で、相談できる第三者がない、知人に相談したくない時などは、家庭裁判所の夫婦関係調整(円満)調停を利用するのも一つの方法です。調停というと離婚調停だけと思っている人も多いのですが、婚姻関係を円満にするための円満調停もあります。(注4)
Qなぜ家庭崩壊したの?どうやって修復した?
それでは家庭崩壊を修復した人達の体験談を見ていきましょう。家庭崩壊の原因としてよくある夫の裏切りや産後クライシスなどの夫婦の問題だけでなく、子供の問題や嫁姑問題など様々な体験談がありますので、あなたにとって本当に大切で失いたくないものは何なのか、今後関係改善に努めるべきか、どう取り組むべきかなどを見つめ直すきっかけになるでしょう。
中学生の娘の反抗期
私が30代後半で、その時娘は中学2年生でした。女の子で中学2年生といえば思春期で難しい年頃です。中学2年生に進級した4月に学校の先生から授業に出ていないと電話がありました。しかも今回が初めてではないという事でした。
それからは学校からもよく電話がかかり注意を受け、成績も下がり、家庭でも遊びに行ったらなかなか帰ってこないなど生活が荒れてしまいました。原因は友達が今まで付き合ってきた人とは全く変わってしまった事だと思います。1年生の友達とずっと仲良くしていればこういう事にはならなかったと思います。
でも友達は私の力では変えられない。私と主人は夜、子供たちが寝てからどうすればいいかたくさんたくさん話しました。時には私が責められる事もありました。主人とも娘ともたくさん話し、涙も一緒に流しました。
そして私が暗い顔をしていたら家全体が暗くなると分かったのです。泣いた後も、怒った後も私は笑顔を作り、子供にも嫌がられてもしつこく話しかけました。その結果娘は友達の事、学校の事をよく話してくれるようになりました。
現在、その娘は高校1年生です。何とか学校も「楽しい」と言って通っています。親子関係も良好で、中学生のころより今のほうが早く帰宅もするようになりました。母親は家の中では太陽でいないといけないと思います。明るく家族を見守るという事を学びました。そして子供とたくさん話をするという事も大事です。
双子の育児疲れで家庭崩壊
私が親になってから、一度家庭崩壊の危機がありました。それは双子の子育てによる私自身の疲労と、夫婦間のコミュニケーション不足が原因でした。
色々試行錯誤しながら、結局は夫婦間で毎晩10分コミュニケーションを取る時間を設けることにしたら、だいぶ家庭内がリラックスした状況になりました。
今では私たち夫婦がリラックスして仲良く過ごしているため、子どもたち含めて家族全体の仲が良くなってきています。家庭崩壊など家庭内の不和は、どの家庭でも起こりうることだと考えられます。その対策は各家庭によって異なるでしょうが、夫婦間のコミュニケーションをしっかり取ることが、ひとつの有効な対策になるのではないかと考えられます。
子供が生まれても変わらない夫
結婚して2年目に私たちは子供を授かりました。私が妊娠中の時の夫はとても優しく身体を気遣ってくれました。ところがいざ子供が生まれると、夫はまるで子供がいないかのように子供が泣いていようがゲーム、私が寝不足になってふらついていても気づくこともなく、とにかく自分のペースで生活を続けていました。当然、私は耐えられず、常に喧嘩をする毎日でした。
私も初めての子育てでまわりに頼れる人もなく産後ウツ状態になり、ついに入院することになってしまいました。必然的に夫が子供の面倒をみなければいけない状態になり、そこで初めて夫に父性のようなものが目覚めたようで、子供をきちんと可愛がり愛してくれるようになりました。
私の入院をきっかけに、やっと夫が父親になってくれたのです。本当に離婚まで考えましたが、やっぱり自分の子供は可愛いのです。育児に協力的ではない旦那様をもつ家庭も多いとききますが、きっと子供の可愛さや大切さに気付いてくれるはずです。時には強引に子供を旦那様に預けてみるといいかもしれません。きっと父親であることに気づき、変わってくれるはずです。
息子がADHDと診断されて
息子が小学校へ入学する直前、保育園から一度カウンセラーと話してみてはどうかと言われ、小児科で紹介していただいた心理発達カウンセラーの方に息子とともに会いに行きました。発達診断のテストを受けて二回目のカウンセリングで多動性のADHDと診断されました。
夫は私より15歳上で、義父は口よりもすぐ手が出るタイプ、おまけに共働き家庭だったため夫はほぼほったらかしに近い形で育った人です。そんな夫が今時の小児心療を理解できるはずもなく、下の子が生まれてすぐだったため、夫にも息子を小学校で馴染めるように協力してほしいと何度も言いました。ですが夫は頭ごなしに怒るだけで息子のADHDを全く理解できていませんでした。
私は子どものためと思い、実家へ息子と娘を連れて一旦戻り、小学校へ入学してから学校とも相談しながら、周りのお友達も助けてくれてなんとか通えています。今は息子も高学年になり、だいぶ落ち着いて授業を受けられるようになりました。
夫とは何度も話し合い、下の子も女の子だからすぐに怒鳴りつけたりすることだけはやめると約束させ、今は同居し夫も何とか私に協力してくれている状態です。やはり人間同士。話し合うことはとても大切だと思います。
育った環境が全く違う相手、全て理解することなんてとても無理。だから子どものためというスタンスで相手と話し合うことを大事にしてほしいと思います。
父親の酒癖が悪くて家庭が崩壊しました
私が小学校低学年の頃でした。父は若い時からお酒が好きな人だったのですが、母が育児にかかりきりになった頃から飲酒の量が増し、ついには母に辛くあたるようになってしまったんです。会社に行っているときは真面目に働いている分、母は誰にも相談出来ずに我慢していたのですが、小さな私を連れて家出するまでになりました。
父は寂しかったんだと思います。その寂しさを母もわたしも理解できていませんでした。少しでも理解していたら、父もあれほど母にあたることはなかったでしょう。父から逃げて2ヶ月くらいしたとき、母に父の会社の上司から連絡があったんです。父は母がいなくなってから仕事にも身が入らず、見かねた上司が話を聞いて仲裁に入ってくれたんです。
父の行為もすべて知った上で「今後何かあったら俺が責任をもって制裁するから」と受け合ってくれました。それをきっかけに、母とわたしは家に戻りました。現在は両親もすっかり仲良くなって、一緒に旅行にいっています。
家庭の中のことは外部の人には話しづらい面もありますが、自分たち以外にも状況を把握している人がいると安心感があります。まずは身近な人に相談することをオススメしたいです。
私の妊娠で!!
私が18歳の短大生の頃、我が家は家庭崩壊の危機に直面しました。原因は私自身でした。当時私は親元を離れ県外で短大生活を送っていました。でもその生活内容は学校にも行かず、当時付き合っていた彼と遊び呆けていました。短大に行って半年した時に、私は彼の子を妊娠しました。
私は“今、親に話したら産ましてもらえない”と思い、ずっと周囲にも秘密にしていました。病院にも行きませんでした。妊娠7ヶ月の途中でさすがにまずいと思い病院に行きました。そしてそれから両親に電話をして事実を伝えました。両親はとても怒り「親子の縁を切る」とまで言われました。
でも私はどうしても産みたいという自分の気持ちを伝え、最終的には彼との結婚を両親が許してくれました。孫が産まれたことをきっかけに関係は修復し、今では両親も孫が可愛くてしかたないみたいです。今では主人含め、みんなで仲良くやっています。
義理母の過干渉により家庭崩壊
今から10年ほど前の新婚当時、私は正社員として働いていて「マイホームの頭金と出産準備金が貯まるまで、赤ちゃんは待とう」と夫と話し合っていました。ところがそれを義理の母に何度伝えても「孫を早くみたい」と話を全く聞いてくれませんでした。そして毎日の様な電話や訪問。私は疲れきってしまいました。
夫にきちんと伝えて欲しいといっても「お母さんは孫が見たいんだよー」と全く私の辛さをわかってくれず、話し合った意味がないと私も不満を募らせていました。そして旦那は私が不機嫌だからか次第に家に帰るのも遅くなり、休日も別々に過ごす様になって、会話をすることもなく過ごして家庭崩壊していきました。
今思えば私も新婚で義理母に面と向かってきちんと伝えることもできていなかったし、いいお嫁さんと思われたくて一歩引いてお話ししていたところがありました。なので、きちんと話し合いの場を設け、面と向かって自分達の将来設計を話せば良かったと思います。
耐えられなくなった私は「一度実家に帰ります」と実家へ戻りました。すると夫がやっと話し合おうと思ったらしく、私の実家へ追いかけてきました。事情を話していた私の父に激怒され、やっと目が覚めた様です。
今では義理母と私は直接連絡をしていません。全て間に夫が入ってくれます。もし今義理母とうまくいっていない方がおられたら、先ずは夫に自分の家族は誰かをはっきり認識してもらうことだと思います。
子供中心の生活がきっかけで家庭崩壊
現在私は3人の子を持つ母です。3人目が産まれ、家庭の中は子供中心の生活が当たり前になってしまいました。3人とも歳も近くまだまだ手の掛かる時期なのでしょうがないのですが、子育て家事に追われて夫婦2人でゆっくり話す時間もなく、2人でどこかに出掛ける事も全くなくなりました。
主人と顔を合わすのは仕事に行く前の数分、帰宅後~就寝までの数時間。たったこれだけしかないのに、その間も子供の世話に追われる毎日。そうしていつの間にか夫婦間に深い溝ができてしまい、休日もバラバラに過ごすコトが多くなってしまいました。
そんな状況が続く中、主人が長期の出張になりました。お互い顔を合わせる時間は少ないけれど、こんなにも長い間本当に顔を合わせる事がないのは初めてでした。離れてみると分かるお互いの存在。お互いに気をつけるべき事、感謝しないといけない事、この出張で改めて気付く事ができました。
現在は出張から戻ってきて、今まで通り子供の世話に追われる毎日ですが、以前より心に余裕ができ、お互いの存在をちゃんと考えるようになり、会話や出掛ける事も増えてきました。
簡単なようで難しい事ですが、相手を思いやる気持ちは大切な事です。2人の時間がないと思うなら、その時間をどうやって作ればいいか考えるだけなのです。考えてみれば案外そういう時間は作れます。自分の気持ち1つで家庭崩壊の危機を脱し、夫婦の仲を深めることはできます。
教育方針の違いで家庭崩壊の危機
結婚して子供達が小学校高学年になった頃です。それまで子供は母親である私がすべて面倒をみてきました。子供も何をするにも母親を頼りにするようになっていました。
中学を目前とした頃、そろそろ塾に入ろうかというところで、夫が意見を言うようになってきました。自分の人生と照らし合わせ、塾選び、その後の進路と自分の教育方針をいろいろ押し付けるようになったのです。
私は今まで子供自身が決めた選択、進路を優先する教育をしてきました。しかし、夫はそれとは逆に間違いのない人生を歩ませたい思いで、子供の人生にレールをひこうとしていました。
そこで度重なる意見の相違でケンカすることが多くなり、そこからちょっとしたころでも意見が合わずお互い歩みよろうとしなくなり家庭崩壊の危機に瀕しました。
結局は夫の両親からの意見もあり、子供の人生は自分で切り開いていくのが一番だと夫も納得したようで、以前よりは押し付けることはなくなりましたが、私も子供が自分たちのことでケンカするのを見て悲しんでいる顔を目の当たりにし、自分の悪いところを反省しました。
それからはお互いの意見を押し付けあうことは少なくなったと思います。歳をとるとお互い頑固になっていくし、意見が通らないとイライラすることもありますが、お互い我慢するところはする、譲るところは譲ると自分一人だけでなくお互いがそういう気持ちであれば、崩壊した家庭を修復して夫婦仲良くやっていけると思います。
産後うつ、旦那の育児不参加と暴力で家庭崩壊
30歳で、わたしは子どもを出産しました。里帰り出産をしなかった私は、出産で吸引、出血も標準より多く、産後とても辛い状況でした。義理の親は車などももってなく、病気がちで頼ることもできませんでした。そんななか、自分の子どもは夜泣きもひどく、睡眠もあまりとれない状況が続いていて、産後うつ状態となっていました。
旦那もその時期残業が続き、育児に参加どころか自分のこともできない状況で、わたしは自分の体も痛い中で育児をし、旦那が夜中に帰ってきてからの晩御飯づくりなどで本当に疲れきっていました。
子どもが泣きじゃくってどうしようもなくて、自分もストレスが限界になってしまった時、子どもに手をあげてしまったこともあります。
そんな中で旦那も手をあげるようになってしまいました。子どもにも、そして私に対しても殴ってきました。
すっかり家庭崩壊してしまい離婚も考えました。そんな状態でも子どもが幼稚園にあがり私がパートに出られるようになって、旦那も残業や夜勤が減ったこともあり、精神的に落ち着いてきて自然に関係は修復し、今は仲良くしております。
産後につらい思いをしているような方がいらっしゃったら「子どもが幼稚園にあがると子どもも旦那もいない自分一人の時間ができ、冷静になれる時間がもてるのでそれまで頑張って欲しい」と伝えたいです。そして少しでもパートにでると社会の人と触れ合えるので気分も楽になります。
私の裏切りが原因で家庭崩壊の危機
私の家庭は少し特殊で、旦那が大きな事故で怪我をして仕事にまともに行けない日々が続いていました。娘が1歳半になる頃、全く会社にいけないぐらい休んでいるにもかかわらず、夜は呑みに出かけ、翌日は朝から寝たきり。私の休日ぐらい娘の面倒をみてくれるのかと思えば、逆に遊びに出させて欲しいといわんばかり。
私も正社員で働いていたので生活はなんとかギリギリでしたが、なんで私はこの人のために自分の買いたいものも我慢して働いているのだろうかと思い始めたのです。前は違いました。働けないのであれば、私がかせげばいいと。でも、やっぱり相手の行動でだいぶ変わります。稼げないのであれば、内職等方法はたくさんあるのに、それもやることもなく。
そんなことが1ヶ月続いたぐらいに、昔の遊び仲間と連絡がとれ、つい気持ちが揺らぎました。きっと旦那が娘の面倒か家のこと、もしくは呑みに行く回数を減らすなどどれかひとつでもしてくれていたら、防げたのかもしれません。結局会ったことがばれて旦那と話し合いました。
離婚の話もでましたが、旦那は自分にも原因があると反省し仲直りしました。今では家事もやってくれますし、休日には子供と私と3人で公園にもいきます。会社も少しずついけるようになりました。旦那さんには常に向きでいてもらうことが大事だと思います。
父の女性問題で家庭崩壊
高校生の頃、父の経営している会社に新しい社員が入社してきました。その女性は日頃子育てで忙しい母の代わりに、父との時間を母より長く過ごすようになりました。父の過失ですが、私達家族も父との時間を大切にすれば良かったと思います。
会社を経営しているということで父も母も会話をしないといけなく、離婚も難しかったので父は女性との関係を絶ち、父と母の関係は年々修復していきました。現在は別居をしていますが、お互いに助け合い、会社も夫婦で頑張っています。
会社、子どもが夫婦の関係を保っているのだと思います。今までは父に冷たかった私達も父の寂しさが分かり、誘われたら食事やレジャーに出かけるようにしています。やはり家族の時間を大切にしなければいけません。
旦那の浮気が原因で家庭崩壊
家庭崩壊してしまったのは1年半前。原因は旦那の浮気でした。旦那の女性関係ではこれまでも何度か色々ありましたが、完璧に浮気と思ったのはこれが初めてのことでした。
もちろん私にも非はあったと思います。子どもでいっぱいで旦那に対して曖昧だったとも思います。正直それでも私は限界だったので、離婚を切り出し公正証書まで作り始めていました。最初は旦那も離婚に承諾していたのですが、話を進めていくうちに「やっぱり離婚はしたくない」と言い出したので、2ヶ月ぐらい本当に戻っても大丈夫なのか話し合いました。
それでやはり子どものためにも戻ることを決めました。それがきっかけというのもあり、今では前よりもお互いにきちんと向き合えていると思います。離れてみて気づくことがあるし、浮気は許せないけど、それをきっかけに旦那も家族の大事さをわかってくれたんじゃないかなと思います。なので、本当に話し合いが一番大事だと思います。話し合いをすることでお互いの気持ちも分かり合えると思いました。
夫の裏切りが原因で家庭崩壊
13年前、主人と結婚し第一子をもうけ、幸せで平穏な日々を送っていましたが、いつしか曇った空気が流れはじめました。ある日ふと主人の携帯を覗くと、頻繁に連絡を取り合っている一件の名前がありました。それは女性の名前ではなく、いかにも取引業者的な名前。これを見た時、女の勘というのか、特別な違和感を覚えました。
その後夫婦で在宅時、その名前の方から着信があり、真面目に応答しながらもドギマギしている主人、その態度に私は確信を得ました。パッと携帯を取り「もしもし」と私が言うと、電話の向こうで女性の笑い声がしたのです。それから私の追求の果てに主人は裏切りを認めて夫婦関係は破綻。離婚調停を経て離婚裁判へと進み、その期間は1年半に及びました。
裁判中、主人は1年半ものあいだひたすら謝り続け「改心するから修復に応じて欲しい」と願うばかり。その異常なまでに一貫した姿勢と必死に請う姿に、私の気持ちも少しずつ変化していきました。
こうして修復の道を選びましたが、修復を選んだ私の中には子供のためにという思いも大きかったように思います。それと私の家族が主人の改心を受けとめてくれ、再度家族として接してくれたことも大きな追い風となりました。
現在は家庭崩壊を修復して仲良くやっています。裁判という極限まで行った事でお互いに本当に大切なものは何か、失いたくないものは何か重く分かった気がします。
参考文献