旦那に冷めた瞬間…「離婚」がよぎったドン引きのワケ15
なんだか不思議と納得のいく「旦那に冷めた瞬間」を体験談でご紹介します。妻達が旦那に冷めたワケ、将来的には離婚も視野に入れてしまうほどドン引きした理由を伺いました。
しかし、悲しいかなどれも結婚生活に胡坐をかいているようにしか見えない旦那様たちの言動…。結婚生活はお互いが思いやりを持たなければ続かないとはよくいったもので、「仕事が」「疲れている」だなんて言い訳は通用しませんね。
Q旦那に冷めた理由を聞かせて!
新婚当初はアツアツでも結婚すればほとんどの人達が旦那に冷めたと実感する日を迎えます。大切なのは結婚後に気づいた夫の真の姿をどう受け止め良い部分にも目を向けることですが、それがどうしてもできない場合はやはり「離婚」の二文字が頭をよぎってしまうのです。
勝手すぎる旦那に冷めた
A子供が新生児期にもパチンコ
子供が生まれてから「父親としてどうかと・・・」と思うことばかりで完全に旦那に冷めた状態です。一番最初は新生児期に、バタバタしてて夕飯が作れないので、旦那はしばらく外で食べてくることになりました。そうしてくれることは逆に有難いのですが、それにしては帰りが遅い。やけにタバコ臭い服で帰ってくることから、パチンコに行っていることが発覚しました。いくら夕飯は外で食べるとはいえ、一刻も早く帰り子供の顔が見たいとか、猫の手も借りたいような新生児のお世話を手伝おうとか思わないものかと呆れました。
「自分の楽しみがないとストレスが発散できない」と言い訳していましたが、それでは私のストレスはどこで発散すればよいのだろう?と思いました。旦那のその態度は6年経った今も変わらず、子供が中学生くらいになるまであと5年くらいは辛抱してその後を考えようと、今こっそりへそくりを貯めているところです。
A出産のあと
子供が生まれ、分娩室で後陣痛に苦しんでいる私の横でケータイでサッカーを見ている旦那にドン引きしました。つい先ほど初めての子供が産まれ、助産師さんたちに抱えられていった娘を私は嬉しく思っていたはずなのですが…その後の腹痛で苦しむ私に目もくれず、旦那はサッカーを見ていました。命がけで産んだ私に声もかけずにひたすらケータイを見ていて…旦那に冷めた瞬間、痛みと旦那への気持ちがそのとき一気に引いていった気がします。
その後日も入院している私とまだ生まれて数日の娘がいる部屋に来てなぜか爆睡していきます。廊下では産まれたばかりだという他の子の旦那さんが感動して泣きそうになっていました。娘が生まれたことへの感激や私への気遣い、娘への愛が全く感じられず、しばらく一緒に暮らしましたが耐えられずに今は別居しています。会っても口もきかず、連絡も取らず少しずつ離婚へ向けて準備していこうと思っています。
A旦那様にストレスを感じたこと
旦那様とは職場結婚でした。私は出産まで7年間同じ会社の別部署で働いていました。途中で私のいる支店の移転があり、私の通勤時間は旦那様の3倍になりました。朝の出勤時間は私の方が早く、帰りはほぼ変わらない状態です。なのに、家事の90%以上は私がやっていました。最初は仕方ないと思っていましたが、そのことに対する気遣いがなく、だんだんストレスが溜まっていって旦那様に嫌気がさしてきてしまいました。
子どもがいるので離婚は考えませんが、結婚前ほどの愛情がなくなったのは確かです。家事については最低これだけはやって欲しいとお願いして、やり方に不満があっても黙っていることにしています。旦那様がやることを忘れていて小言を言うとまた雰囲気が悪くなるので自分でやっています。もう諦めることが多くなりました。
些細なことが気になる
Aもうこんな旦那にはついていけないと思った
私が今の旦那と結婚するまで、付き合っている間はいつも私のことを気にかけてくれているみたいで、ちょっとした心配や、悩み事も聞いてくれていました。ですが、結婚してから半年ほど経つと、それまで少しの事でも心配してくれていたのに、上の空で親身になってくれなかったりもしました。それだけだとまだ許せたのですが、育児、家事等は私に全部押しつけて、自分は仕事から帰ってくるなりずっとTVを見続けて笑っているのが許せないのです。
育児、家事はさすがに平日の仕事から帰ってきてまで手伝ってとは言いませんが、休日にはちょっとしたことでも手伝ってくれると、私としてはすごく嬉しく思います。今現在、離婚までは考えていませんが、正直いって旦那に冷めた状態で今後この生活がずっと続くのかと思うとゲンナリします。
A自分優先
誰もが思っていることですが、私は結婚を後悔したくなかったので主人との恋愛期間も長くとり慎重に決めたつもりでした。始めのうちは結婚生活も順調で楽しく生まれ変わってもまた結婚したい、なんて思っていました。やがて私達の間にも子供が生まれました。と同時に主人の色々な面が見えてきました。
ある日 主人と3歳になった子供と3人で外食をしました。少し遅い昼食だったので3人ともとても空腹でした。子供はまだたくさんの量を食べられないので私達の分を取り分けてあげることになりました。そして主人が注文した料理が運ばれてくると、主人は隣りに座っている子供がいるにもかかわらず、真っ先に食べ始めたのです。子供はお腹が空いているのでそんな主人をジッと見つめています。
私は呆れてまず子供にあげて!と言いました。主人は思い出したように 取り分けていましたが、私だったら真っ先に子供にあげます。些細なことかもしれませんが、スーッと冷めてしまいました。子供がいるから我慢をし気持ちを切り替えて生活していますが、あの日のことは忘れません。お腹を痛めた私とは思い入れが違うのだろうと、無理にでも思うようにしています。
A夫への気持ちが冷めた経緯
私は結婚して3年目の主婦です。夫とは一目ぼれから交際1年半と、割と早い流れで結婚しました。ちょうどお互いの情熱がまだ燃え上っていたときです。結婚前から、夫の怒りっぽさや性格の違いを薄々気づいてはいました。でも、「恋は盲目」という言葉があるように、「彼を愛してるから、そんな小さいことは気にしない」と思っていたのです。実際に結婚して一緒に暮らしてみると、そんな私の考えが甘いことに気づきました。
自分が夫の欠点について小さいと思っていた事は、自分にとって許し難い事が結婚をして分かったのです。結婚は毎日のことなので、例え相手の鼻につくところが些細な事でもあっても、それは積み重なっていきます。私の夫は短気で、すぐふてくされるタイプなので、しばしば私は悲しい思いをしています。もう夫に対して冷めています。生活はこのまま続くのでしょうが、できることなら結婚前に戻りたいです。
これは許せない!
A…冷めた
6年間の交際を経て、結婚した時は本当に幸せでした。子供が産まれ育児に奮闘する中、義親が倒れ介護を頼まれるようになりました。まだ小さかった子供たちを連れながら片道1時間かかる病院へ毎日のように通い、義親の介護をしました。義理の兄弟は働いてない私が介護をするのが当然という感じで感謝される事もなく7年が過ぎました。
その頃丁度、前に働いてた会社から復帰要請があり、子供たちも幼稚園に入った事から復帰しました。私が仕事を始め5年がたった冬の日長男が家出をしました。私が居ない間、主人に暴力を振るわれていた事がわかり、今まで義親の面倒を見たりしてきた事が馬鹿らしく、そして何よりも自分の子供に暴力を振るった主人が許せなく、一気に冷めました。
A我慢ができない夫
最近子供の事で口論することが多くなってきました。夫は仕事で疲れてるから休みの日はなるべく休んでもらおうと、子供達を公園に連れていき家の中がうるさくならないように努めたりしていたつもりでした。しかし、梅雨の時期になり外出するのが難しくなったある日、夫が子供たちの声に我慢ができなくなったのかうるさいと大激怒!私からすれば子供が自宅で少しぐらい騒ぐのは当たり前。激怒した夫と大喧嘩に発展しました。
今まで夫のために努力していたことが急にバカらしくなり、子供の遊び声にイライラする夫にかなり冷めつつあります。普段子供のお世話をお願いしても数分後には携帯をいじり始め、子供たちが話しかけても携帯画面から目を離さず返事をし大噴火寸前!もう夫にはなにも望んでいないので、育児は自分一人でしています。夫との離婚を考え始めている現在です。
冷たい夫にドン引き
A入院した子供のお見舞いに来ない夫に冷めました
旦那に冷めた瞬間は、子供が生後3週目に入院した時です。 小さな我が子が病院で頑張っているというのに、休みの日も特に病院にお見舞いに来なかった夫。私は24時間付き添いで病院に泊まり込んでいました。夫に言わせれば、私がいるのに自分が行っても別にやる事がないからお見舞いも休みの度には行かない、と。そこで私が入浴に行く間子供を見ておくとか、病棟の売店で必要な物を買ってきて欲しいとか、洗濯物を家に持って帰って欲しいとか、手伝って欲しい事はたくさんあると伝えましたが、それは子供の事じゃなくて自分の事なんだから自分でやりなよ、と言われて終わりました。
よその旦那様は休日は勿論、平日の仕事帰り、面会時間に間に合えば10分でも病院に立ち寄って子供の顔を見たり、奥さんを手助けしてくれているのに、うちの旦那は休日すら子供の顔を見にこないのかと情けなく、一気に冷めました。今は子供の父親として接しています。夫と思うと私の事も支えて欲しいと期待してしまうので、子供の父だから同居している、という考えでいます。
Aこの痛みを思い知れ
子供がまだ赤ちゃんでおっぱいを飲んでいた頃の話です。胸が張ってパンパンになり、みるみる熱が上がり、40度を超えてフラフラになりました。病院にもひとりでいけないし、子供もみていてもらわないといけなし…の状態なのに、旦那は休みの日なのに会社でやりたいことがあるとわたしを置いて会社にでかけていきました。日曜日で休みなはずなのに。
どうしようもなかったので実家の母を呼び、子供をみてもらい、病院につれてってもらいました。乳腺炎でした。子供を産む、育てる、母乳にも全て苦労し子育てをしているのに、まったく協力しない旦那には愛想がつきました。子供は好き勝手に抱かせていません。休みの日は実家に帰り、旦那と子供を会わせない生活をしています。
姑との問題は夫婦の問題
A姑と無理やり仲良くさせようとした瞬間
ずっと仲良くしてきた旦那ですが、結婚2年目頃に姑とごちゃごちゃがあり、子供もいなかったので、旦那にこれ以上姑とは仲良くできないし、もしあなたが姑と私の仲が良いのを求めるなら離婚をしましょうと話し、仲良くしなくていいということで決着しました。
それから2~3年が過ぎ、子供ができたら今まで見向きもしなかった姑がふたたび寄ってくるようになりました。姑だけならまだしもだったのですが、姑の義理の妹(主人の叔母)までもが私と姑の仲を取り持とうと躍起になっているのを見て、本当に姑が大嫌いな私は主人に対してすっかり気持ちが冷めました。隠れて姑の家のリフォームのお金を払っていたり、姑のために何かすればするほどこちらの気持ちは冷めていきます。
A嫁より親を優先する夫。将来的に離婚を計画しています。
子供が産まれてから、孫フィーバーで頻繁に家にやってくる義両親に嫌気がさしていました。入院中は出産中から毎日、退院後も毎週末やってきては子供を独占し4時間ほど滞在していき、精神的にも肉体的にも疲労やイライラでいっぱいいっぱいになり夫に勇気を出して相談しました。しかし、返ってきた返事は「可愛いんだからしょうがない。悪気はないんだから我慢しろ。可愛がってもらってるのになんでありがたいと思えないのか」でした。私が何を言っても義両親には伝えてくれず改善もせずだったので、私から義両親に伝えることにしました。
しかし、私からの相談に激怒した義両親は夫に相談。夫は、「あいつは病気だから」という風に答えていました。その瞬間、「もうこの人とは一緒に居れない」、そう思いました。その事を問い詰めると「お前の言ってること伝えると親が傷つく」という回答がきて、もう唖然として何も言えなくなりました。子供のことを考えると今すぐ離婚は出来ないので、貯金とキャリアアップ、家事育児を完璧にこなして(自分に落ち度がないように)子供が成人したら離婚するつもりいます。
イマイチな夫を改造中
A夫との金銭感覚の違い
子供が産まれたときにもらった出産祝いを、私が里帰りしている間に全て使い込んでしまった時に本当に冷めました。しかも使い込んだ事に罪悪感すら持っていないことにもガッカリしました。私としては、子供の御祝いでいただいたお金は、全て子供の名義で貯金しようと思っていたのですが、夫はそれを過保護だと言います。結局、夫は使い込んだまま返済することもありませんでした。
夫との金銭感覚の違いは、今も様々な場面でぶつかり合います。夫は格好つけて会社の後輩にすぐに飲み代を奢ったりするので、貯金がほとんどできません。今はぎりぎりでも生活できているので、離婚は考えていませんが、もっとお金を大切に使える夫になってほしいと思い、機嫌の良さそうな時にお金の大切さを話すようにしています。
A私の一言で夫が変わりました。
子供が2人いるママです。夫はゲームや漫画が大好きで、少しでも自分の時間があると携帯を出してはゲームをし始めます。下の子が生まれて忙しくしていても、夫が仕事の休みの日には携帯を持ちゲームから離れる気配が全くありませんでした。私はかなり頭にきて夫の携帯を取り上げて、「子供は私一人で育てるから出てって下さい!」と大声で言ってしまいました。
夫はかなり驚いていた様子でしたが、かなり反省したようで少しずつ子育てや家事を手伝ってくれるようになりました。私もかなり色々なことを我慢してきたので、ガツンと言ってスッキリしました。今は大好きな漫画も子供が寝てから読むようになったり、私の前で携帯を開く回数が減ったので効果がありました。私も一生懸命頑張っているので、これからも夫にも協力してもらうつもりです。
A産後クライシス
結婚して、出産するまでは本当に仲も良くケンカなどもせずとても大好きな旦那さんでした。しかし出産して、ホルモンバランスが崩れたことや、産後の体調がなかなかよくならず寝込む日々を過ごしていたときの無神経さに腹がたって大嫌いになってしまいました。
産後、体調が悪く体もとても辛いのに話しても理解してくれず、それでも出かけさせたがったり、お姑さんにひどいことを言われたときも何もせず守ってもくれずただボーッとしていること、泣いて訴えても理解してくれず離婚しようとおもいました。顔も見たくなくなり、実家に逃げてしまいました。しばらく顔も見ずからだも休ませているうち、だんだんと精神的にも落ちつき、旦那さんも事の重大さに分かったようで今では理解してくれようとしています。なんとか今は修復できました。